サクラ姫 毒親育ちの胸の内

思いを吐露することで心を癒すことを目的としたエッセイブログ。

見聞きすることは直接的な暴力

直接自分に向けられた暴力に対しては抗議する権利があるけれど、自分以外の人間に向けられた暴力で精神的に傷ついても、当人ほど訴える権利はないような気がしていました。

 

本人たちが平気そうな顔をして許して収めることを良しとする雰囲気だったのだからなおさらです。もし抗議して波風を立てれば逆に非難の対象にされるのです。

 

例えば父の母に対する態度は全く対等な人間関係ではありませんでした。

 

父は母の事をよく「めっかい」と呼んでいました。
その言葉が“召使い”なのか“メスの使いっぱしり”を意味するのか分からなかったけど(だってそんな言葉は知りません)とにかく侮蔑の表現でした。

晩酌のビールを母のグラスにほんの少しだけ注ぐ。
「お父さんとお母さんはどこで出会ったの?」と聞くと「橋の下で拾ってきた」
「奥さんは居ますか?」と電話や訪問があると「一人います」
ほんの些細なことで意見を言うと「悪い女だ」「悪い奴だ」
母が一生懸命作った食事や、ケーキなどを前に「お前は食べないだろ?」
家族で出かける直前玄関で「お前は行かないだろ?」母がうんざりして「行かないわ」と言うと、ニヤニヤしながら「お前も来い」と言い、それでも思い通りにならないと「お前も行くんだ!」と言って怒鳴りだす。

 

あげれば切りがないほど日常で、ちょっとしたからかいや冗談として受け流されていきました。

 

他人から見れば一瞬の出来事で、気にも留めないか、どれ程残酷な行為の一端かは想像も出来ないでしょう。
私も分かりませんでした。
けれど確実に傷ついていたのです。

 

それらの言葉が“繰り返される”ことで精神を破壊するほどの攻撃性を持つことを本を読んでやっと知ることが出来ました。
そして直接の攻撃はもちろんですが、家族に対する下劣な態度もまた、同じ空間に居る者に対する直接的な暴力だったのです。

 

自尊心をじわじわと殺していくような言葉を日常的に聞かされ、悲しみや居心地の悪さ、子供心に何とかとりなそうとする試み、母親が侮辱されているのを目にするのは子供である私に大きな影響を与えて、想像以上に傷ついていたのだと気付きました。

 

“傷ついたと言っていい。それは当然の事”と気付けた事は大きな安堵に繋がりました。けれど色んなことが分かるにつれ、あの空間に長年居た自分がとても恥ずかしいような気持ちになるのはなぜでしょうか?

 

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