サクラ姫 毒親育ちの胸の内

思いを吐露することで心を癒すことを目的としたエッセイブログ。

さみしいが育った

小学校卒業頃までの記憶では、とにかく両親が言い争いをしていました。
父は背が高く体格も良く、それだけで威圧感があるのですが、その風貌に加えてよく大声で怒鳴っていました。

 

父の場合は単なる喧嘩と呼べるような生易しいものではない、
まるでヤクザが罵声を浴びせて、強い恐怖と不安で人を支配下に置こうとするものでした。身体的暴力は無い。けれどいつ始まるとも知れない怒鳴り声、地鳴りのような足音、ドアを乱暴に閉める音。
それに負けじと大声を張り上げる母の声。

 

私にはきょうだいがいて、いつしか争いが始まると一部屋に集まって、収まるまでじっと耐えるのがお決まりになりました。
昼間であれば無理にでも遊びに行ける友人宅を探して家を出ました。

 

でもその思い出が、直接さみしさを育てたのではないような気がします。
多分理由は、母が全く心のケアをしてくれなかったから。
一度だけ部屋を開けたら子供たちが集まっていたのでハッとしたと言っていました。
でもそこまで。

 

視界には入っているけど見えていない。目にしている光景がどのような意味を持つかは分かっていない。子供の心が見えていない。
無関心とは違うけど、積極的な関心は持てない。視力はあるのに何も見えない。
だから優しい言葉の一つも出てこない。

 

悪人ではない母の“したこと”ではなく“しなかったこと。
子供の心を守ってくれたことは一度もなかった。

 

 “あなたの努力は誰かが見ているものだ”という言葉はよく聞くけれど、
むしろ人知れず悩み、最後まで誰にも知られることも無く、まるで無かったことのように過ぎていくのが多くの現実だと思うから、
何の成果も出ていない、けれど今成し遂げていることの、本当の価値が分かる人は少ないと思うから、

だからせめて身近にいる人には、見ていてくれなきゃやっぱりさみしいんだ!

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